虹の橋を渡りました・・・そしてお別れ。

昨年7月の腫瘍摘出手術以来、闘病生活を送っていたぬこのミー子さんですが、2024年1月14日明け方に旅立ちました。このネコは2015年頃に迷い込んできたネコなので年齢は不明なのですが、推定年齢9歳くらいだろうと獣医さんのお話。

手術時の血液検査で慢性腎不全であることが判明。それからというもの、毎週1回水曜日、皮下点滴を受けるために犬猫病院へ通院していました。そして餌も不味いといわれる療法食にチェンジ。餌代は通常の3倍以上に。医療費と餌代を捻出する側も大変ですが、ミー子さんも頑張りました。

そして2023年年末から餌を食べる量が少なくなり、やせ細っていくばかり。2024年に入ってからは餌を食べられなくなり、伏していること多くなりました。ウェットの餌を手で上げても少しだけ口にするだけ。徐々に体を動かすこともできなくなり、一日中ひたすらじっとしていることが多くなりました。
正月を過ぎたころからまったく餌を食べられなくなり、今年二回目の通院で診てもらうと様子がおかしいことが判明。この時から毎日の通院となりました。そして1/12(金)に「各部転移、ステージ5のガン、余命は今月いっぱいもつかどうか・・・」という診断に。皮下点滴の他に痛み止めの注射を受けるようになりました。連日の通院・・・そして1/13(土)・・もう自分で体を動かくこともできず、トイレは抱き上げて連れて行ってあげるような状態。家では動くこともなく(動けない)、通院の車の中では鳴くのが精いっぱい。もうかなり体がしんどい状態だったのではないかと思うところです。

そして日が変わって1/14(日)・・・義父が朝起きて見に行ったら眠るように亡くなっていたそうです。ガンも末期であることがわかり、どのように緩和ケアをしていったら良いかを考えている矢先でした。手術から半年、ミー子さんはよく頑張りました。

思えばミー子さんに会社帰り会いに寄った1/10(水)、病床に伏していたミー子さんは私が来たのがわかると病床から這い出してきて動かない体を無理やり動かして私の元へ寄ってきました。そして手を舐め舐めし、頭を何度も何度も擦り付けて。そしていつもとは違った目で長い時間、私のことを見つめていました。普段「何かしてほしい」と訴えて見つめている時間より明らかに長かった。私は両掌でミー子さんの頭を包んで「早く元気になるんだよ」と心から声を掛けました。ミー子さんはじっと見つめていました。ミー子さんは自分の最期がわかっていたのかもしれません。

1/15(月)・・・最後のお別れをしてきました。場所はしおや聖苑。15:30に火葬予約。

この二日間、雲一つない晴天でした。きっとミー子さんのおこないがよかったのでしょう。

私にとっては一生忘れない猫となりました。

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